top of page

節目のない生活

  • 執筆者の写真: 反田孝之
    反田孝之
  • 2021年4月1日
  • 読了時間: 2分

今日が新生活のスタート​になる人は世間には多いことだろう。我が子下2人もそう。朝はそれなりに賑やかだった。もちろん私自身にはまったく関係がない。子供がいなければ、今日が年度初めだということすらきっと忘れているはず。


4月1日と言えば思い出すことがある。大学を卒業した直後の春、私は残雪の八ヶ岳に単独で出かけた。海外登山を目指したトレーニング目的であった。その2日目に岩場で腰を下ろし休憩している時に、ふとその日が4月1日だということを思い出し、いかに世間と外れた生き方をしてしまっているか、そして漕ぎ出して行くかを改めて痛感することになった。以前一度書いている。


そういえばその直前の大学の卒業式も日にちを忘れていて、自動車学校の路上教習に臨んでいるとき、スーツを着た同級生がふらふらしているのを見てその日が卒業式だと思い出したということもあった。これも確か以前書いた。


そのくらい当時から私は「節目」というものに鈍感になっていた。子らの卒業式などの節目にそれほど執着しないのも、そのころからずっとこうだったということだろう。


今の農業人生。生き物や天気の都合で私は動かざるを得ず、生き物にとっても天気にとっても人間の都合は関係ない。そういう節目がない生活というものが、若いころからそんなだった私だから実に心地よいことだ。


節目を持たず、日々を追われるように生きる。胸の中には大志を秘めて。

最新記事

すべて表示
学習発表会で、決意を改めて

今日の学習発表会は、5年生の劇で私のネタが出るということはあらかじめある程度は知っていたわけだけど、実際に見て、かなりこそばゆかった。とにかく照れるし、多くの来場者にどう思われたかとか。「すっかりはんだの、というかハンダタカユキの宣伝だったな」とは私の友人談。 もちろん嬉しかった。先生方のアシストが大きいとはいえ、私が伝えたいこともいくらかは子供らに伝わってるのかなと。だからこその彼らの意思ではな

 
 
自然栽培実践者としてのプライド

一昨日、ようやくお米の色選がけが終わり、数量も確定し、お米の販売先への割り振りもほぼ決まった。大きな区切りが一つついたのだから気分は幾分晴れやか。いつもならここでコルトゥラーダのワインを開けて打ち上げと行くし、ちょっと前までその気満々だったのに、すでに11月繁忙期が始まり、段取りはぐちゃぐちゃ、頭の中ぐちゃぐちゃ、体もぐちゃぐちゃで、さすがにその気分ではなくなった。 今年はお米が豊作と何度も書いて

 
 
 

コメント


この投稿へのコメントは利用できなくなりました。詳細はサイト所有者にお問い合わせください。
    bottom of page