top of page

自然に振り回される人生

  • 執筆者の写真: 反田孝之
    反田孝之
  • 7月10日
  • 読了時間: 2分

更新日:7月17日

そろそろ降ってくれんかな〜と思っていたら、今度は降り過ぎ。3日連続で強い雨や夕立。大豆畑にはまったく入れなくなり、部分的にイヌビユとヒエが急速に繁茂し始めた。部分的と言っても7.5haの部分だがらかなりの面積。手取りの負担がかなり増えそうで、憂鬱この上ない。


本線の一つの緑肥播種も、真っ先にやるつもりでスタンバイしていた転作田ではしばらくできそうにないので、わざわざ手間をかけて準備した播種機を、また手間をかけて畑の地区に移動することに。そしたらその最中に女房から「山水が出ない」との連絡が入った。時刻はちょうど17時。


そう来たか。山水が出ないということは、井戸の水位が下がって使えない今の我が家にとっては、水がまったく使えないということを意味する。まったく難儀な人生よな。急いで帰宅し、気合を入れて対峙(退治ではない)しに行った。先日刺された蜂とである。


雨合羽に身を包み、蜂スプレーを片手に、おそらくと思われる場所に石をドスンと落としてみた。しかし反応がない。蜂が一匹すら確認できないのだ。何度か試しても変わらず。今度は別ルートで大回りして中間タンク経由でその場所へ行き、同様にやってみたが確認できず。蜂は居そうにない。クロスズメバチではなかったかもしれない。


山水も異常はなく、なぜかすぐに自然復旧した。止まったのは何だったのか。


自然の出方次第で生活が大きく左右される、自然に依存し、自然に振り回される人生だ。都市化してしまった現代人だから理解できない人は多いことだろう。しかし慣れてしまえば生きている実感が強いし、酒を飲んで振り返ると愉快ですらある。ただシラフではまだ愉快とまでは思えない。そこがまだ残念である。

最新記事

すべて表示
どうして農業をやっているのか

今日の午後、ついに休んだ。もちろん本線作業は満載。でもそろそろ潮時かなと。 で家に帰って2時間ほど爆睡したあと、次男用に買った漫画、「ザッケン」が目に留まる。高校の雑草研究会なるサークルの物語(全四巻)。ちなみにこの漫画の「監修」となっている中尾佳喜くんはかつてうちで研修していて、今でもゴボウの収穫の季節には手伝いに来てくれている。 これを読みながら、そういえば自分も小学生の時は雑草に興味があった

 
 
もっと痛快な経営

うちのように慢性的に忙しく、捨てる管理を常に選ばざる得ないような状況では、当然のことながら効率的なオペレーションが欠かせない。その中でしょっちゅう頭の中をよぎるのが、目先の効率と全体の効率との兼ね合い。 例で分かりやすいのが、次の稲刈りをするために乾燥機を空けようとする場合...

 
 

コメント


この投稿へのコメントは利用できなくなりました。詳細はサイト所有者にお問い合わせください。
    bottom of page