top of page

追われる忙しさの花

  • 執筆者の写真: 反田孝之
    反田孝之
  • 2024年1月14日
  • 読了時間: 2分

覚悟をしていたというよりも、どうせそうだろうと思っていたことなんだが、今がまだ相変わらず忙しい。山陰の冬にあって、こんなに天気の良い、子供らをどこかへ連れていくには絶好の日曜日に、こうやって事務所へ出て仕事をしている。忙しいというだけでは伝わらない、忙しいのは誰だってそうだろうから、ここで言うのは、追われているということである。


追われようが追われまいが忙しいのは同じだろうと思う人は、日ごろから追われることが少ない人であろう。追われる忙しさというのは、自分の意思を差し挟む余地がない上に充実感というものをあまり伴わないから、それがずっと続くと明らかに滅入ってくる。私の場合は一年のうちで追われていることの方が圧倒的に多い今の農業人生だから、もうこれが四六時中、滅入ってばかりということになる。


じゃあ私は不幸だということになるであろうか。しかし私に言わせると、滅入ってばかりだから不幸だと安易に決め込むところの思考回路の方が問題である。人間はいろいろで、滅入る、辛い、苦しいという状態に生きがいを見出す人が、案外多くはあるまいか。


「追われる」というのは、見方を変えれば「求められる」ということでもある。それが人でなくとも、作物とか草とかであっても、何かに求めてもらえるうちが人生の花だとすれば、私の人生は今花盛りということになる。実にめでたいではないか。


(1回目草取りマラソン進捗率:51%)


最新記事

すべて表示
マズローの欲求段階説と私

ここにきて疲れが噴き出す。この土日は、床下の撤去木材を庭で燃やした以外はまったく何もせず、ずっと昼寝をしていた。今朝もまだ眠い。いったいどれだけ眠れば体が満足するのだろうかと呆れている。 こんな時はいつもと違う感覚になる。それで焚火を眺めながらいろんなことを考えた。自分のこれまでと、これからのことも。 就農してちょうど22年になる。よくぞここまでやってきたなと。 当初は、20年後だったら数名の雇用

 
 
疲れが噴き出している

繁忙期から解放され、体の疲れがどっと噴き出している。まあ疲れが噴き出していること自体はすでに1か月以上も前からだから 今に始まったことではないんだけど、何というか、質が違う。 繁忙期の間は常に目先の何かにせかされて緊張感があった。今はそういうものがあまりなく、この3日のうちにやればいいとか、1週間後が締め切りとかというようなものがほとんどだ。たったこの違いだけで違う疲れが噴き出しているような気がす

 
 
 

コメント


この投稿へのコメントは利用できなくなりました。詳細はサイト所有者にお問い合わせください。
    bottom of page