top of page

哀愁

  • 執筆者の写真: 反田孝之
    反田孝之
  • 2022年11月14日
  • 読了時間: 2分

昨日は母の命日。5年前の今日の慌ただしさを思い出す。最後に母に会ったのは亡くなる日の5日前の11月8日。その間、母は九州に行っていたので会えなかったのだ。この5日間の空白が今だに悔しく心に残る。


最近作業の合間に、遠くを見ながらぼんやりと過去を振り返ることが増えてきた。すっかり老いぼれてしまったかのようなことを言う。これを冬へ向かう季節特有の哀愁のせいにしてしまうこともできなくはない。


しかしここに他の理由を加えるなら、老いぼれだけでなく、ここ数年の度重なる洪水、急速に拡大する田津の遊休地の風景、というものを外すことはできそうにない。精力をつぎ込んできた田津地区へのこの数年の洪水の仕打ちは、確実に私を変えてしまった。ある感覚に、強いていうなら「虚無感」、というものに常に覆われている。ちょうど1年前くらいはこの感覚の支配に面食らったものだ。しかし今、これと上手く折り合えて、特に困ることがないどころか、むしろ幸福感を増すことに役立っているのではないかと思える節もある。52年、もう精一杯生きた、という満足感もここから自然に湧き上がってくるのだという気がする。


そして虚無感を抱える原因は洪水に加えてもう一つ、母との別れもあるだろう。母に死なれて根無し草。残された父の老いるを見るにつけ、父との別れという次のステージを想像する。そしていつか自分の死。女房や子らとの別れ。


死ねばどこへ行く。魂とは何か。意識とは何か。宇宙の外には何がある・・・俺を屈服させられるもんならやってみろ。


明日は大豆の種採り圃場の収穫。品種が混ざらないようにコンバインなどの機械の掃除を今日これからする。虚無に覆われ、あらゆることに価値がなくても、この掃除には価値があると感じる。こうやって日々と今の農業人生を送っている。

最新記事

すべて表示
疲れが噴き出している

繁忙期から解放され、体の疲れがどっと噴き出している。まあ疲れが噴き出していること自体はすでに1か月以上も前からだから 今に始まったことではないんだけど、何というか、質が違う。 繁忙期の間は常に目先の何かにせかされて緊張感があった。今はそういうものがあまりなく、この3日のうちにやればいいとか、1週間後が締め切りとかというようなものがほとんどだ。たったこの違いだけで違う疲れが噴き出しているような気がす

 
 
アカリパと不死身のトトさん

我が家で結成された最強コンビ、「アカリパ」と「不死身のトトさん」。何とも言えない不思議な絆で結ばれている。 アカリパはもろい一方で、トトさんに学んだオタマジャクシファイヤーを操りたくましくもある。トトさんのような人と将来は結婚して農業を「やらせる」とのたまうとても頼もしい奴だ。 不死身のトトさんは文字通り不死身。クマに襲われても死なないし、渋滞の車列に高速で突っ込んでも死なない。そして日々も、過労

 
 
 
憂鬱だ・・。

気が付けば今日を入れてあと3日で今年が終わる、らしい。いつもと何も変わらん日々で、知らんがな・・の気分。かろうじて学校が休みで子供らが朝家にいるということと、年末年始の休業日がいつかという問い合わせで、時が進んでいることを実感する程度だ。 それにしても最近はほぼ毎日事務所にこもっているので憂鬱だ。寒いし、しぐれているから屋内の作業はよさそうなものだが、性分だ、時には外で作業がしたい。外でやるべきこ

 
 

コメント


この投稿へのコメントは利用できなくなりました。詳細はサイト所有者にお問い合わせください。
    bottom of page