「思想より技術を語ろう」
- 反田孝之
- 11月12日
- 読了時間: 2分
更新日:4 日前
今日は恒例の小5の大豆授業で収穫と天日干し。ここも今年はうちと同様に青立ちがみられた。昨年はうちの広大な圃場が青立ちする中、小学生が育てた箇所だけは見事な出来だったのに。まあ、そうは問屋が卸さないということ。仮説はある。どんな状況をも冷静に対策の引き出しにする。
授業の直前に、市議さんがふらりと立ち寄られ畔端で意見交換。やはり物事を進めるには、多くの人に受け入れられやすい主義主張が大事で、思想を素直に語るだけではかえって逃げていく人がいる。SNSの、農業関連のとあるグループで一時期よくスローガン的に言われたことに、「思想より技術を語ろう」というのがある。思想はそれぞれ受け止め方が違うが、技術ならとりあえず誰にでも受け入れることができる。私も常日頃からこのことには留意しているつもりで、業界の全国紙に連載させていただいた時も、思想には触れないことをことさら意識した。
誤解されないように言っておくが、思想を振りまく人は必要である。でないと社会は硬直してしまう。だからその思想の後押しのために、「同じ側」にいながらそれを客観的に説明できる立場の人が同時に必要だと言いたいのだ。(もう一つ誤解を気にしていうなら、これは「理論より理念を語ろう」というスタンスには矛盾しない。思想と理念は違う。)
足りてないところに常に位置取りしたくなるのは、昔から私の本能みたいなもの。だからいつでもどこでも主流派ではなく非主流派の立場に身を置くことになる。ただそれだけのことに過ぎない。主流派も非主流派もこのことは俯瞰した方がいい。でないとあまりにもったいない。

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