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  • 執筆者の写真反田孝之

「流儀」と「主義」

「流儀」とは何か。年末くらいからそんなことをついつい考えている。調べると「技能・芸術など、その人・家・派などの独得のやり方・しきたり。」とある。


他方で、「主義」という言葉がある。同じように調べると「一定の主張や思考体系。 個人的な信念や指向。」


この解釈を比べると、「流儀」は動作的で現実的、周囲の状況とともにあるもの、そして「主義」は観念的なもの、周囲の状況と関係なく独立したものと言えそうだ。そしてきっと流儀には、物事を前向きに上手く進めたい、そして実際にそうやれば上手くいった、という体験的な根拠を伴っている。だから常にバージョンアップが図られている。一方で主義には、観念的である以上そこまで具体的な根拠はない。変えることもなかなか難しそうである。


こんなことをどうして思うかというと、人によってこれら2つを持ち合わせる程度と割合の違いが最近妙に目に付くからである。年末以降、人に接する機会が増えていて、その多くが何かに挑戦しようとしている人だ。その人たちからは、とかくこの流儀というものを感じる。そして他人の流儀には学ぶことが多い。そこが何とも心地よい。


一方で人はそれなりに主義も持つ。しかし流儀を溢れんばかりに感じる人からは主義的なにおいを多くは見いだせない。主義は極端になると教条的になってしまうから要注意。しかしそこまでいかなくても主義的な人というのは基本が変わらない。相手をしていて楽ではない。


で肝心なことは、流儀に溢れる人は、そのことを自分で意識していないということ。一方で主義に固まった人というのは、周囲を無視したまったく独自の譲れない一線というものを持っており、厄介なのはそれを自分の流儀と思っているということ。


流儀は、幸福になるために発揮するものである。しかし主義とは、たとえ不幸になるのだとしても貫くものである。この違いは大きい。

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