定性脳と定量脳
- 反田孝之
- 4 日前
- 読了時間: 2分
抑止力について軍事力の議論をするときに「軍事力より外交力」って主張する人がいるけど、まったく議論がかみ合わない。外交は当たり前のことで、その上で軍事力をどうするかって議論なんだが、こういう人ってだいたい日ごろから話がかみ合わない。よく言えば定性脳と定量脳との違いと言えなくもないが、悪く言えばただ論理に弱いだけ。
よく言ったほうのたとえを使えば、定量脳の人は主張の幅がグラデーションだから議論も深まって甲斐があるけれど、定性脳の人は主張が0か100になりかねないし、またはすぐに誤解というか決めつけが過ぎるので、まじめに話をすると辛い時がある。
でも定性脳の人には突破力があるというし、確かにそんな気もするから、尊重もしている。定量脳の人にはそういう人が多いだろう。でも定性脳の人は定量脳がなかなか理解できない気がする。保守と革新みたいなものかな。
人間相手は疲れるね。その点自然はいいよ。いつも相手が正しいんだから。そしていつもこちらが理解するだけのことだから。今の生活は自然を相手にする比重が明らかに高いから、人間相手がだんだん億劫になってるかも。でもそういわずに、せっかく歳をとりつつあるのだから、そして人間関係こそ歳をとることで深まるものだろうから、もう少し頑張らねばと思う。
(夕方、収穫後の大豆畑にて。中央の山の山頂直下に昔家が2軒あったらしい。いつか行ってみたい。)


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