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「自分ができるなら相手もできる」と思う人はいるか

  • 執筆者の写真: 反田孝之
    反田孝之
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今日は稲を刈るつもりだったのに、まさかの午前中は雨。水も相当溜まった。明日こそはできるだろう。今日はひたすら籾を摺って貯金を作る。

 

話変わって、今80を過ぎる親父の周辺で人間関係のもめ事があって、それで思うこと。


きる人は、できない人の気持ちがわからない、という主張が往々にしてある。仕事ができる人は「自分にできるんだから、相手もできるだろう」と考えるんだとか。私も研修生や若いスタッフを抱えているころには周囲から散々言われてきた。


しかし自信を持って言う。そう考えている人はまずいない。こういう主張をするのは本気で人を育てようとしたことがない人だ。人を育てようとしたことのある人は絶対にこんなことは言わない。できる親方ができない弟子に向き合うときの心理はむしろ逆なのだ。「自分は何事もかなりの努力の末に今の力量を得た。相手がそう簡単にできるとは思えない。」と思っている。そこを如何にやらせられるか、如何にできるようにさせるかに腐心している。自分にできるなら相手にもできる、ってどんだけ自分の造作がしょぼいのよ。


でも時に、できる人ができない人をいじめているシーンに出くわす。そういうのを見てこういう主張が導かれたのだろう。しかしこれは完全に誤解。いじめている人はできない人の気持ちがわからないのではなく、わかった上でただいじめているに過ぎない。


ここのところを整理しないと、誤解をしたままで不毛な状況に陥る。特に誤解に留まらずこんがらがっている人、例えば私に「できない人の気持ちをわかってやれ」という人は私が弟子をいじめていると思っている。二重三重に誤解をしていて、こうなるともう誤解を解くのは難しい。


ついでに言うと、弟子が親方のことをそういう目で見る、つまり「親方はできない俺の気持ちがわからないのだ」などと思ったら終わりだ。そう思うのが弟子本人なら、どこまで自分に甘いんだと、そう思うのが第三者なら、どこまで偽善者なんだ、と言ってやりたい。本人にとってはここが仕事を覚えるか覚えないかの分岐になるといってもいいくらい。幸い私は長い修業期間にそんなふうに思ったことは一度もなかった。いじめられる時は単にいじめられてるのだとしか思えなかったし、仕事を覚えることに何の支障にもならなかった。


気が付いたら話が脱線した。いじめている人に対しては、いろいろ理屈を考えずに「いじめるな」と言うしかないことを、本題は単に言いたかった。

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