top of page

そのうち打って出たいね

  • 執筆者の写真: 反田孝之
    反田孝之
  • 11 分前
  • 読了時間: 3分

小5の大豆が終わり、大豆の収穫が終わり、大豆の1回目の検査が終わってゴールの一角が見えたせいか、急に体の不調が大きくなって、それ以降は午前中だけ作業を、午後は家で爆睡という日を続けていた。午後は一応溜まりに賜ったデスクワークを自宅でやるつもりでPCを持ち帰るのだが、結局初めの3日で合計5分しかできず、後はひたすら寝ていた。発熱などがあるわけではなく、ただの過労。4日目の今日はお世話になった大先輩の葬儀に参列した以外は家族で温泉に行き、帰ってからはまた爆睡。さてさて、よっぽど参っているようだ。


昔から肉体を酷使する仕事の人は、冬は長期間湯治などで回復を図ったというから、私もそろそろそういうことが必要なのかもしれない。しかし冬はそれなりにやることが満載で、結局いつもそれをやり切れずに春以降に持ち越し、繁忙期に輪をかける羽目になっている。冬は決して暇ではないのだ。


1年を通じての私の繁忙の課題は、人手を増やすこと、つまり雇用しか解決の道はない。経営規模を大きく減らすということは考えたくない。周囲の期待にあまりにも逆行しているし、それがうちにとっていいこととは思えない。また効率化については現実的には相当果たしている。これ以上劇的なものには莫大の投資が必要だ。


自然栽培中心の経営に転換して以降手放した雇用という選択は、栽培技術の安定とともに10年前くらいにまた目指したものの、洪水の多発を境に再びその旗を降ろした。しかしその原因は洪水だけではない。実は自然栽培の技術という「原資」の不足をまた自覚したからでもある。ここのところをどう考えていくか。世間には反田はすっかり雇用など考えていないのだろうと見なされている気配がぷんぷんしているけれど、まあ仕方がないだろう。15年以上も雇用を放棄しているのだから。しかし我々の(というか私の)15年は、私の公式によれば、25分の1、つまり7か月かそこらの感覚である。せめて1年くらい待てんものか、と。そう言いたくなる余裕が冷静にあって、我が道を行く。


雇用以外でも、とある立場の人たちからはどうもいろいろな点で呆れられているというか無視されているというか、そういう雰囲気を感じないわけではない。しかしそれでいい。我が道を行くとはそういうことだ。そして原資を得れれば打って出たい。それがいつになるのか、そもそも得れるのか、それは分からない。でもわからないからこそ面白い。あんまりずっとわからないというのではくたびれてしまうが、まだ7か月かそこらの模索だ。ここが大事。また打って出ようとしたときに世の中から必要とされているかどうかは天任せ。ここも大事。


以上、中期的展望を。長期的にはうちのような経営体はなくなった方がよい。さて明日からまた下を向いて、まずはこの繁忙期を終わらせる。


ree

最新記事

すべて表示
学習発表会で、決意を改めて

今日の学習発表会は、5年生の劇で私のネタが出るということはあらかじめある程度は知っていたわけだけど、実際に見て、かなりこそばゆかった。とにかく照れるし、多くの来場者にどう思われたかとか。「すっかりはんだの、というかハンダタカユキの宣伝だったな」とは私の友人談。 もちろん嬉しかった。先生方のアシストが大きいとはいえ、私が伝えたいこともいくらかは子供らに伝わってるのかなと。だからこその彼らの意思ではな

 
 
自然栽培実践者としてのプライド

一昨日、ようやくお米の色選がけが終わり、数量も確定し、お米の販売先への割り振りもほぼ決まった。大きな区切りが一つついたのだから気分は幾分晴れやか。いつもならここでコルトゥラーダのワインを開けて打ち上げと行くし、ちょっと前までその気満々だったのに、すでに11月繁忙期が始まり、段取りはぐちゃぐちゃ、頭の中ぐちゃぐちゃ、体もぐちゃぐちゃで、さすがにその気分ではなくなった。 今年はお米が豊作と何度も書いて

 
 
 

コメント


この投稿へのコメントは利用できなくなりました。詳細はサイト所有者にお問い合わせください。
    bottom of page