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気持ちがのらない

  • 執筆者の写真: 反田孝之
    反田孝之
  • 2024年11月8日
  • 読了時間: 2分

大豆を刈りたい。準備がようやく終わり、早い圃場ではいつでも刈れる枯れ具合になっている。しかし今日も行って観察したところ、大豆の粒がまだ柔らかい。先日からの立て続けの大雨ですっかり吸水してしまっている。コンバイン収穫は粒がすっかり乾いて固くならないとできない。逸る気持ちを抑えて今日もやらないことにした。



そう、気持ちが逸ってならない。今日はもう8日というのに、この最悪の11月繁忙期のメインである大豆収穫とゴボウの作付けが、まったく進んでいない。ゴボウは悩んだ末に一からやり直すことにした。が、畑がまだ理想の状態にまで乾かず、まったく手が付けられない。だったら大豆くらい進めておきたいのに、というところ。


話変わるが、洪水被害というのは、気持ちにじわじわ来る気が近年している。自分ではどうしようもない不条理とも言いたくなるこの事象をたびたび平然と受け入れられるほど、自分は強くないということなのだろう。いろいろなことが投げやりなのも、きっと関係がある。虚無感と言っている。


そんなことだから、逸ってならないと言ったが、一方ではなるようにでいいやと思っている。だから実は例年より気持ちが楽だ。もしかしてゴボウの作付けが冬に間に合わず、3年前から減らした今の規模がさらに減るかもしれない。それならそれで楽ができていいなとも思う。


これは今の私が書くことであって、3日後には変わっているかもしれない。でも今日のような気持ちの良い秋晴れの空を遠くまで見ていると、疲れた自分はこのまま大きくは変わらないかなとも思う。見上げる青空は無性に悲しい。


今日は午後これから田津へ移動して、乾いた圃場もあるので、先ずはそこからゴボウの準備をするつもり。淡々としよう。その圃場は土中の空気が噴出した穴だらけで月のクレーターのようだ。自然現象は面白い。上を見ていては悲しくなるばかり。私は下ばかりを見ている方が性に合っている。

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