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  • 執筆者の写真反田孝之

先日の「つぬさんぽ」なるお祭りで、「今のはんだ牛蒡さんだよ」とささやきながらすれ違う人たちがいた。こういうことはままあって、その時ばかりは私がゴボウ屋であり、うちのゴボウが認知されていることの責任を痛感する。


そうだったよね。さあ、ゴボウ屋よ。このゴボウを作り続けることは責任ですよ。そしてゴボウそのものの陰に隠れた、今までの工夫と努力の過程を誰かに伝えることも。近ごろ記憶が薄れつつあるが、このなけなしの私の人生をどれだけここへ注ぎ込んできたことか。むしろこっちの方が大事なんだろう。


世の中に、技術の継承がなされてこなかったことは多い。今の世が浅はかに硬直しているのはそのせいでもあるだろう。なしうる立場にいる人は、どんな時でも腐らずにやっていきたいもんだね。


  • 執筆者の写真反田孝之

今年は田畑が乾かないなあとボヤくだけでは収まらず、すこし焦ってきている。降水量や降水日が例年より多いのだ。実際に調べるとそうなっているが、調べるまでもなく今年は感覚でも明らかだ。


おかげで10月騒動のため溜まりに溜まった作業に、まったく手が付けられずにいる。という状態であっても、昨年に引き続き「大豆播種」→「田植え」の順で決定したから、稲の準備が半月遅くなっていて、そのおかげで何とか今はまだ、一見していくらかのゆとりがある。しかしこれは見せかけのゆとりで、繁忙期間の作業量は当然変わらないのだから、これに騙されずに妥協なく進めていく必要がある。


気の毒なのは研修生だ。前作者から農地を引き継ぎ、苗代も含めて一刻も早く形を作らねばならないのに、それがめちゃくちゃな状態だから田んぼがよっぽど乾かない。水を抜く工夫の仕方と乾くのを待つようしっかり釘を刺したつもりでいたが、我慢できずに水が溜まった田んぼを練りながら耕うんしてしまった。この条件ではこの田んぼはガスわきがひどくなり、普通にやれば悲惨な結果になることが目に見えている。待つことの大切さを改めて伝えたところ。


今のところ来週あたりからようやく晴れが続きそう。うちで今一番急いでいるのは、大豆後の稲作予定圃の耕うん~代かき。本当はすでに終わっていてもいいくらいである。


しかしこれをやると道路を挟んで反対側の転作田が、道路下からの漏水によって広範囲で乾かなくなってしまう。それでまずはこの転作田の額縁明渠からやらねばならない。だが、この圃場がまた乾きにくいときている。ここが乾くためには何日も晴れが続かなければならない。待つだけ待って時間切れと思えば、どこかを妥協して捨てるしかない。


排水対策というのは、圃場を乾かすためにするものだ。しかし圃場が乾いていないと排水対策自体ができないというジレンマ。サブソイラも同じ。圃場を乾かすためにサブソイラを入れるなら、その効果を高めるためには圃場が乾いている時に入れなければならない。この辺りの加減が、自然栽培では数少ない腕の見せ所なのだ。

  • 執筆者の写真反田孝之

ヤケ半分と、冷静さ半分で、いろいろ考えるここ数日。田津の築堤と今後のうちの営農に関することだ。


(昨日たてられた用地杭。農業遺産の87圃場の4割に食い込む。)

ヤケの部分は、このまま為されるままだけにしていると、最終的には田津は荒れ野原と化しそうだから、堤防ができたら地域はこんなになってしまうのかと、この選択があまりにも過ちだったと多くの人に自覚してもらうために、私はもうどんな田津地域への貢献を放り投げて手を引こう、人間は一度は過ちだったことを認めなければ、いつかまた同じような過ちを繰り返す、という考えからきている。


冷静な部分は、過ちを認めるべき人たちはそう遠くないうちにあの世へ召されるからいまいち甲斐がない、もはやこの虚しい大土木事業は、大筋では何をも覆っこないのだけれど、ちょっとした細かい変更によって結果が劇的に変わるということは世の中の常であって、そういう視点で今まで生きてきたのだから、このたびも地味に工夫の余地を考えていくべきだ、そしてその方が後の世代のためだという考えからきている。


当地の事情を知らずこれを読む人は、反田はどれだけ不遜なのかと思われるかもしれない。しかしながら、例えば田津の農地の(あるいはそれ以外のいくつかの)行く末は、現状からして9割方は私の考え方ひとつである。思い上がろうと何だろうと、これは現実なのだから仕方がない。何の権力的地位にもいない私などの1人の考えで、ぎりぎり繋がっていることがいくつかあるほど、すでに当地の行く末は細っているのである。


ヤケが半分以上顔をのぞかせたときには、帰宅して子供らと接するのが辛い。しかし冷静さが戻って来るときは、彼らの存在をありがたく思う。彼らがいなければ、たびたびの洪水によって密かに潜伏している虚無感が、またもや私を覆ってきて、何をも諦めてしまうかもしれない。


今日は長男の義務教育の卒業式。再来週は末娘の卒園式。子らが着実に成長する間に、私は地味でいいから、一つでも多くの可能性を未来に残していきたい。



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